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弁理士業務暦20年以上、中小企業の知的財産権(知財)の出願・訴訟に多くの実績があります。山口県山口市出身です。
今までに年賀状などに書いていた随想のようなものをまとめました。
AIは特許出願における発明者になれるか?(2024/01/01)
AIで基本的発明も可能に(2023/01/01)
EVシフト(2022/01/01)
大発見は自由と失敗が許される環境から生まれる(2021/01/01)
裁判のIT化(2020/01/01)
米中新冷戦?(2019/01/01)
AIに仕事を奪われる?(2018/01/01)
AIの出現と人間の本質(2017/01/01)
トータルバランス(2016/01/01)
脳型コンピュータ(2015/01/01)
特許の希釈化(2014/01/01)
ゆらぎ(2013/01/01)
写真の発明と絵画(2012/01/01)
芸術と遊び心(2011/01/01)
特許法改正(2010/01/01)
米国均等論の歴史(2009/01/01)
芸術系人間による基本発明とパテントトロール(2008/01/01)
大発明は特異点となって現れる(2007/01/01)
微差の増幅・固定化装置としての特許制度(2006/01/01)
侵害代理業務試験(2005/01/01)
眠れる名画(2004/01/01)
知的財産戦略大綱(2003/01/01)
偶然性とセレンディピティ(2002/01/01)
研究者はアウトローであるべきだ(2001/01/01)
ゲーム性を帯びて(2000/01/01)
お手本はいらない(1999/01/01)
基本的な概念(1998/01/01)
生成AI(人工知能)は今年も話題の中心になりそうですが、世界各国の特許庁は今、「AIを活用して開発した新製品の発明」、特に「創作のほとんどをAIが行った発明」をどうするか、苦慮しています。
もし「創作のほとんどをAIが行った発明」は特許出願の対象にできないとすると、重要な発明なのに特許庁の管理から外れた「野良発明」が増えて、特許庁の立場が無くなります。
現状、各国の特許法は、特許出願の願書に記載する発明者は自然人に限るとし、機械・AIを発明者として記載することは認めていません。
しかし、今後は、特許出願の願書に記載する発明者は、自然人だけでなく法人でもよい(但し機械・AIは難しい)とする「法人発明」を認める方向に、特許法の改正が進んで行くのでは、と予想します。
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column26
AIで基本的発明も可能に(2023/01/01)
昨年暮れのニュースでも紹介されていましたが、思い付いた語句や文章を入力すると数秒で、それに合致する楽曲やイラストをAIが制作してくれるサービスが実用化されています。同様に、学術論文は当然ですが、小説もAIが制作してくれます。
小説が可能なら、当然、応用発明だけでなく基本発明も可能でしょう。AIが、ツイッターなどのビッグデータを解析して、未だ人間が気付いてない潜在的なニーズ・課題を、いち早く抽出・発見し、それを解決する発明を導出・創作し、それを説明する特許明細書を瞬時に作って特許出願することなど、十分に可能でしょう(但し、実験が必要な発明などは別です。またAIによる発明が多くなるとそもそも特許制度は必要かという議論も出るでしょう)。
今後、知的領域では人間でないとできないことは少なくなるでしょうが、そのとき人間はどうするのか、世界史を見ると似た悩みを抱えた人たち(古代ギリシャ人など)はいたようで参考になります。
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column25
EVシフト(2022/01/01)
昨年11月のNHKスペシャルでもやってましたが、中国、EU、米国でEV(電気自動車)シフトが急速に進んでいます。中国では1台50万円の格安EVが爆発的に売れ、米国でも2030年までに新車販売の50%を電動車にするとしています。
HV(ハイブリッド車)などで劣勢に立たされたEU勢が気候変動からの脱炭素規制を利用して日本勢を追い落とそうとしているとの見方もあります。
しかし、次に来る本命の自動運転とも併せ考えれば、特に近距離移動の用途、例えば無人タクシー(「呼べば自動運転で来てくれるカー・シェアリング」と現象的に同じ)、無人コミュニティ・バス、運転手なしの宅配車などの用途では、モーターなので排気ガスが出ず車内の静音性も高いこと、部品点数が少ないためメンテナンス・コストが低いことなどから、EVの可能性は大きいと思います。
今後、数年で、携帯電話が登場したとき以上の変化が社会全体に広がって行くのかもしれませんね。
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「大発見は自由と失敗が許される環境から生まれる」
(地球とは別の銀河のブラックホールを最初に発見した、
中井直正・関西学院大教授)
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私は上に書いた言葉を聞いたとき、ハイテク等を巡る今の米中冷戦が頭に浮かびました。
昔から「(政治的)自由がない社会では大発見・大発明(技術革新)は生まれない」という説があって、それは1989年のベルリンの壁崩壊で米ソ冷戦が終結して証明されたはずでしたが、近年の中国の経済発展で怪しくなってきていました。
しかし、中国での最近の動き、アリババ傘下の金融ハイテク企業(アント・グループ)への圧力などをみますと、今後の数年で、上記の説が改めて証明されることになるのかも知れません。
ただ、「自由と失敗が許される環境」は、むしろ、同調圧力や忖度文化が蔓延する日本においてこそ、考えていかなくてはならない問題では、と感じています。
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政府と最高裁は、2020年から、弁論準備手続(非公開)での「Web会議」を実施する(今でも同手続への「電話」参加は可能だがそれが「テレビ電話」になる)など、「裁判のIT化」を進めるとしています。
その文脈で、2021年度以降、順次、(1)裁判書類のオンライン提出、(2)裁判記録のデジタル化、(3)膨大な判決をAIに読み込ませることなどが予定されています。
ところで、官公庁のIT化では、特許庁は上記(1)及び(2)を既に30年近く前から実施しています。
その特許庁システムのユーザー(弁理士)から見ますと、表の目的である効率化以外の副次的な効果、例えば、@手続の透明化に伴う内容的公正性の向上、A公文書の永久保存化(申請関連の公文書について特許庁側は公式にはともかく職員は永久保存と言っています。現状、動画がなく容量を食わないからです)、B官庁側提供の無料データベースの充実化(民間業者の多くが廃業しました)などのメリットが大きいと感じています。
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昨年は、ハイテク覇権さらには軍事・世界覇権を巡り米国が「米中冷戦」を仕掛けた年と言われています。
しかし、2030年頃までには中国のGDPが米国を抜き世界一となることが確実視される中、米国でも「遅すぎた」という声がかなりあるようです。
米国は、旧ソ連との冷戦に勝利した経験から「(政治的)自由がない国では革新的な発明や科学技術を生み出し続けることはできない」という思い込みがあり、それが中国への「油断」に繋がったとも言われています。
確かに、中国は、AI、ビッグデータなどのイノベーションで既に米国を凌駕していると言われます。しかし、本当に「(政治的)自由がない国でも革新的な発明や科学技術を生み出し続けることができる」のか? まだ答えは出ていないと思われ、弁理士としても興味があるところです。
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昨年も、「AIに仕事を奪われる?」という議論が多かったというか、ほぼ出尽くしたような年でした。
最近は、もうAIに単独で色んな仕事をして稼いでもらって税金を納めてもらおう、そのためにAIに権利能力(私法上の権利・義務の主体となること)を認めようという議論もあるようです。
AIに権利能力を認めるならば、当然の流れとして、AIに刑事責任能力を認め、AIが犯罪をすれば処罰する、ということになるでしょう。AIなら、犯罪をしたら処罰されることを理解しますから、AIに対し犯罪を抑制させる効果が得られます。AIの犯罪に対しては、AIのコンマゼロ秒以下のスピードに対応できるAI警察官も必要になるでしょうね。
いずれにせよ、AIの社会進出に伴って、これから人(ヒト)は、必然的に社会での立ち位置をずらしていくしかない、ということになるのでしょう。
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「人間にできてロボットができないこと(少なくとも当分の間は)の一つが、人間がしたいこととはそもそも何なのかを決めることだ。」(ケヴィン・ケリー著「インターネットの次に来るもの」より) * * * * * * * *
昨年は、自動運転とか囲碁ソフトがプロ棋士に勝ったなど、AI(人工知能)の話題が多かった年でした。
確かに、弁理士の仕事などは典型でしょうが机上でやる仕事の多くはAIに、立ち仕事でもそのかなりの部分はAIが組み込まれたロボットに、置き換えられて行くのでしょう。
でも、人間が食事したり、散歩したり、人と語らったり、いろんなことに悩んだりすることまで、AIが代わりにやってくれる訳ではないですよね。
その意味で、AIの出現は、人間にとって何が本質的なものなのかを、考えてみる良い機会になるのではないでしょうか。
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トータルバランス
「やっぱり最後はトータルバランスだと思うんだよね。」(孫正義。日経ビジネス2015/8/13号)
ソフトバンクグループの孫正義氏は、経営を将棋に見立て、飛車や角は勇まくて格好良い、それに比べて王将は一つしか動けなくてしょぼいなと若い頃は思うけど、やっぱり勝ち続けて行くには王将のようなトータルバランス・深みが必要なんだよね、と言っています。
私はこの記事をネットで読んだとき、ちょうどその頃、話題沸騰していた東京五輪エンブレムの盗用問題を思いました。この問題では、当初、五輪組織委は、また何人かの弁理士らも、テレビなどで「商標として類似していない、著作権侵害とはいえない」(だから問題ない)という方向の発言をしていましたが、結局、組織委がエンブレムの使用を取り下げたのは周知のとおりです。
これなども、商標や著作権だけの問題とするならば勇ましい発言も可能なのですが、トータルバランスの上で考えたなら、当初から少し違った方向性もあり得たのでは、と思います。世の中の仕組みや流れの全体を見据えたトータルバランスが必要だと感じました。
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column18
脳型コンピュータ(2015/01/01)
「機械が人間を超えても、人間はそれに気が付かない。」
(Google社の技術者 レイモンド・カーツウェル氏。日経エレクトロニクス2014/9/15号p.37)
Google社のカーツウェル氏は、2045年にはコンピュータの知性が人間を上回ると予測しています(2045年問題。本当は、地球の歴史を動かして行く役割が人間からコンピュータに移ってしまうということで、少し怖い話です)。
直感やヒラメキなどの右脳型思考についても、最近のニューラルネットワーク理論などによる脳型コンピュータが、そのうち人間を凌駕するだろうと言われています。
脳のニューロンやシナプスの数が蜂やマウス並の脳型コンピュータは既にIBM社や米スタンフォード大学が製作しているのですが、このニューロンなどの「数」を増やしていけば、量が質に変わる形で「意識」や「精神」を持つコンピュータができると、多くの研究者が予測しています。
高度な専門能力を必要とする仕事(特にタコツボ型の専門領域、机上での仕事)は意外にコンピュータに代替され易い反面、業務範囲がどこまでか画し難い、複数の領域を横断する、例外処理が多い、不特定多数の人を相手にする仕事はコンピュータに代替され難い、ということです。
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「1つの製品に必要な特許件数が激増している。」(元特許庁長官・荒井寿光氏)
荒井氏によると、メカ時代はカメラに使用された特許数は100件だったのが、エレキ時代は1000件、デジタルカメラでは1万件に激増したということです。
これは「仕事と人」についても言えると思います。近年のオープンイノベーションの時代では、1つのプロジェクトに多数の人・企業をコラボレーション(協働)させるネットワーク力やコーディネート力が重要性を増す一方で、1人又は1企業の力は相対的に低下しています。
しかし、例えば音楽や小説などの芸術分野のように1人の力が今でも大きなウェートを占める分野はまだ残っており、発明もその一つではないかと思います(発明は、事後的に複数の人によりブラッシュアップされることはありますが、基本的に1人の頭の中で生まれるものであり、発明者にはある種、芸術家的な感覚も必要です)。
ただ、1つの商品の中に使用される発明・特許の数が増大化する中で、1つ1つの発明の価値が希釈化し低下していることは事実なのでしょう。
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「生物の脳は、(コンピュータと違って)あいまいでいい加減なものだから、現実からは間違っているような答えを思い浮かべ、膨らませる。それが創造性。」(生物物理学者・柳田敏雄さん)
柳田さんによると、0か1かのデジタル発想の対極にある「あいまいに揺らぐ、いい加減さ」こそが生き物の本質で、創造性の源だと言っています。
脳があいまいに揺らいでいると、その揺らぎがたまたまあるレベルを超えたときパッとひらめく。逆に、揺らがずに安定していると、ひらめかない。時代もそうで、安定期ではなく、揺らぎが大きい変動期に、天才が現れたり飛躍が生まれたりする。そう言っています。
政治がころころと変わる日本も、世界も、大変な激動期にある訳ですが、あいまいな揺らぎの中にいる自分を積極的に位置付けていくことが必要なんでしょうね。
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1839年にフランスのルイ・ダゲールが発明した「銀板写真」は、瞬く間に肖像写真として広く普及しました。その結果、当時のステイタスであった肖像画は見捨てられ、絵画産業は壊滅状態に陥りました。その後、パリの画家たちは、写真とは違う絵画独自の表現方法を模索し、1874年、第1回印象派展を開催し、印象主義を掲げました。
この「銀板写真」のように社会や文化を大きく変えた発明というのはそんなに多くありませんが、やはり発明に関わる多くの人たちは、「世の中を変える発明」を目指していると思います。近年の例では、ウォークマン、カラオケ、インターネット、携帯電話、電子マネー、iPhone、SNSなどでしょうか。
ダゲールは元は画家だったのですが、ウォークマンのアイデアを井深大氏と一緒に出した盛田昭夫氏やiPhoneなどを世に出したスティーブ・ジョブズも純粋な技術者ではなかった点は、面白い共通点かなと感じます。
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「今必要なのは、市場の要望を組織的に帰納する論理実証主義型マーケティングではなく、個人が仮説を立てて市場に提案する芸術型イノベーションだ」(池田信夫blog)
発明が生まれるルートや手法にはいろいろあって、科学的発見などのシーズ(種)から偶然も手伝って生まれる「シーズ主導型の発明」もありますが、それよりも、「必要は発明の母」という「ニーズ主導型の発明」こそが昔からの最もオーソドックスな発明の手法と言えます。
しかし、今のように複雑な社会になるとマスが分裂して国民共通のニーズが無くなっていくので、ニーズ主導型の発明はどうしても小粒になっていきます。
だから、大きなヒットを飛ばそうと思うと、例えばニンテンドーDSの「すれちがい通信」のように、社会に対して新しい価値や意味、面白さを提案する「遊び心主導型の発明」としての芸術型イノベーションが有効になっていくのかなと思います。
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最近は、特許侵害訴訟の提訴件数が減少し、知財高裁が慌てているようです。
このように減少したのは、せっかく特許侵害訴訟を提起しても、原告は80%以上の確率で敗訴してしまい、しかも多くの場合、敗訴するだけでなく原告の特許が無効になってしまうので、原告が訴訟を尻込みしているためです。
このように原告勝訴率が20%と低いのは、現在の制度が被告に圧倒的に有利(原告に不利)になっているからです(特に、被告が原告特許の無効を裁判所と特許庁との2つのルートで攻撃できるというダブルトラックの問題)。
特許庁では、このような問題の改善をも含めて、特許法の大改正を来年頃に予定しています。未知数の面はありますが、特許侵害訴訟をお考えの方は、改正法の施行が予定される再来年頃まで待ってみるのも一案かも知れません。
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最近、仕事の関係で特許侵害訴訟でよく出てくる「均等論」について調べてました。
均等論とは、被告の製品が原告の特許の一部を変更しただけで特許侵害にならないという結論になってしまうと特許権が極めて空虚な権利となってしまい妥当でないという場合に、一部が異なっていてもそれが均等の範囲ならば特許侵害と認めるという、特許権者(原告)側を助けるための理屈の一つです。
この均等論は、日本では、1998年の最高裁判決によって初めて認められましたが、米国では昔から認められていました。
調べてみましたら、米国の最高裁が最初に均等論を認めたのは何と19世紀半ばの1853年、日本ではNHKの「篤姫」でちょうどやっていた、幕末のペリー黒船来航で大騒ぎをしていた頃、なのだそうです。
米国では、この最高裁が均等論を認めた19世紀後半以降(1980年代以降と同様に、プロパテントの時代だったと言われています)、エジソン、グラハム・ベル、マルコーニ、ライト兄弟などの発明家たちが活躍し、今の米国の産業の基礎が築かれました。最近は米国でも、行き過ぎた特許保護に対する反省・揺れ戻しが目立ちますが、米国の特許訴訟の歴史の懐の深さを感じました。
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「イノベーションは一種の芸術なので平均値には意味が無い。」(池田信夫blogより)
世の中には文系人間と理系人間と芸術系人間の3種がいると、知人の技術者が言ってました。
基本発明を生み出すような芸術系人間は、大企業にも中小企業にも、同じように分布しているはずです。ただ、今までは、中小企業などから基本発明が生まれても、それを利益に結び付けるルートは限られていました。
しかし、最近は、日本でも、「パテント・トロール」(特許の怪物。個人などから特許を買い集めてそれを武器に大企業から高額のライセンス料や賠償金を獲得しようとする特許投機家グループの蔑称)が活動を始めています。
獲物にされる大企業にとっては困った現象かもしれませんが、もともと、特許の世界とは、地方の中小企業や個人でも、一つの基本特許を武器に、世界を相手に、大企業とも対等に渡り合えることを可能にするものです。前述のような「特許の怪物」の活動は、このような特許の本来的なダイナミズムを取り戻すものとも言えるのです。
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「大発明は特異点として現れる」(中村達生・元三菱総合研究所主任研究員)
三菱総研の最近のレポートによると、多数の技術の成長過程や関連を時系列で分析した結果、大発明は、それまで技術が集積されてきた場所(技術の群れ)から離れた位置に突然、ポツンと特異点として現れるそうです。
普通の発明は、既に在る大発明を中心とする技術の群れの中に入ることを目指して、それを拠り所として、それの応用や改良となるプラス・アルファを「ひねり出す」ことで、何とかなることが多いのではないかと思います。
しかし、大発明やパイオニア発明と呼ばれるものは、そもそも拠り所となるものがありませんから、発想法の本に書かれてるハウツーや努力だけでは無理と思います。
生涯で最高の名作のアイデアが浮かんだときのことを「天使が空から舞い降りた」と回想していた直木賞作家がいましたが、大発明の場合も同じような形容をするしかないのかも知れません。
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最近、日本知的財産協会・専務理事の宗定勇氏の講演を聞く機会がありました。近年は多くの企業が技術による差異化を目指してR&D費を増大させた結果、皆が同じような研究に追い込まれて発明の同期化が進み、複数の企業から同じ発明が数日から数十日違いで特許出願される事態が増加している、という話が印象に残りました。
僅か1日の違いでも一方は特許が取れて20年間独占でき他方はそれが得られないのですから、その差は甚大です。オリンピックのスピードスケートなどでも、コンマゼロ何秒という僅かの差で金メダルを貰えたり貰えなかったりして、それがその人のその後の運命を大きく変えてしまったりもしますが、そのことに、何か人生の不条理を感じる反面、勝負の厳しさや清々しさも感じます。
特許制度も、横一線で競争している競合企業の群れの中から、出願日が1日でも早い企業だけに特許という独占権を与えることによって、その僅かの差を増幅し固定化させるための仕掛けなのだと感じました。
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昨年(2004年)の10月、弁理士に特許等侵害訴訟における弁護士と共同での訴訟代理人資格を付与するかどうかを決める「特定侵害訴訟代理業務試験」を受けてきました。
この試験もそうですが、最近の弁理士制度は、不正競争防止法・著作権法・関税定率法などを職域に加え、さらに訴訟や契約の領域にも進出するなど、より「法文系の領域」へと足を踏み入れています。
従来の「創造・権利化」の分野から「保護・活用」の分野への進出が業界のコンセンサスになっています。
しかし、最近でも特許侵害訴訟の原告勝訴率は25%以下の低率となっており、その原因のかなりの部分が「権利書」としての特許明細書の品質にあることも事実です。
弁理士は、従来の理系という軸足を大切にしながら、法文系の知識を、「創造・権利化」の分野、例えば「侵害訴訟や契約交渉(保護・活用)での戦いに勝てる特許明細書」の作成にこそ生かして行くべきだろうと、試験を受けながら感じました。
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「我々には、作品の本当の価値を決める『決定的な何か』を発見できるだけの能力がある」(フィリップ・モウルド著「眠れる名画」)
最近は譲渡や担保のための知的財産の評価が課題とされ、金融工学の応用など様々な試みが為されています。
しかし、発明の評価、特にその市場性の評価には、社会インフラや技術トレンドの変化などの経時的要素(将来予測)が必要となり、そこに、「誰が最初にその発明の価値を見出すか」という競争の余地が生じます。
絵画の世界では、オークション会場に持ち込まれた誰も注目していない作品群の中から、実は大変な価値を持っている作品を誰よりも先に見抜き、格安の値段で競り落とす自営ディーラーたちが、昔から存在しています。
知財の世界でも、BTのハイパーリンク特許や米SCOのLinux関連著作権など「眠れる特許」が後から発見されて大騒ぎになる事件が発生していますが、これからは、それが日常茶飯になって行くでしょう。
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昨年7月に政府が策定した「知的財産戦略大綱」及び今年施行の「知的財産基本法」により、我が国も、20年遅れで米国型プロ・パテントに向けて本格的に舵を切りました。
特許権者の強力な武器となる「証拠収集手続の拡充」や「賠償額認定の強化」(2005年度までに検討)などが制定されれば、企業や個人の優勝劣敗をよりはっきりさせる一種の「社会変革」に繋がると言われています。
基本特許を一つ取得しただけで株価が急騰したり、特許訴訟の敗訴判決一つで経営破綻に追い込まれるなど、非常にダイナミックな社会が実現するという訳です。
反面、実質的な特許裁判所を実現する「特許侵害訴訟の東京・大阪地裁への専属管轄化」は、資力の乏しい地方企業に訴訟提起を躊躇させる要因になると思われます。
これからも、地方の中小企業・ベンチャーの立場から、知的財産をどのように取得・活用して行けばよいのか、私なりに思索して行きたいと思います。
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「真の強者は運の偶然性をも読む」(桜井章一 著「超絶」竹書房)
ノーベル化学賞を受賞した白川英樹氏の導電性高分子の発見は、助手が触媒の配合を間違えておかしな黒い膜ができたという「偶然」が切っ掛けだったそうです。
このように、偉大な業績を残した科学者や発明家たちの軌跡を見ると、「セレンディピティ」(思いもかけない事件や現象にたまたま遭遇してしまう能力)が大きな役割を果たしていたと言われています。
ギャンブルなどの勝負事でも、運や偶然は最大の関心事のようで、麻雀の裏世界で20年間負けたことが無かったと言われる桜井章一氏は、「予知能力で偶然を読む」とその著書で述べています。
発明にせよ何にせよ、「偶然を煙たがらず、偶然に翻弄されることさえも楽しむこと」が、偶然から愛され成功に至る秘訣ではないでしょうか。
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「研究者はアウトローであるべきだ。」(所 真理雄・ソニーコンピュータサイエンス研究所所長)
現代の最もアウトロー的な研究者の一人、中村修二氏(米カリフォルニア大教授)は、徳島県阿南市の日亜化学工業時代、社内行事や飲み会は一切無視、会議も欠席、電話にも出ないなどの過激な勤務スタイルで、世界初の青色発光ダイオードの開発に成功しました。その中村氏は、発明について、「『常識に反している』からこそ発明なんだ。」と雑誌などで述べています。
研究の場で「常識に反する(斬新な)発想」をする人たちには、日常生活の場でも、常識や秩序に従わない(捕われない)言動をする人たちが多いのではないでしょうか。
日本から「革命的な技術・発明」を世界に発信して行くためには、私たちの周りにいる「アウトロー」たちを快く受け入れる社会に転換することが必要だと思います。
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「エジソンは蓄音機、白熱電灯、活動写真などを発明した。だが、彼の最大の発明は、発明家という職業であり、技術研究所というビジネスだった。」(名和小太郎 著「知的財産権」)
特許ビジネスの先進国・米国では、ライセンス料や賠償額を極大化させるため、取りやすい相手から取る、相手が利益を上げるまで待ち伏せて訴える、契約が遅れる度に料率を引き上げて相手を追い込む、などの戦略が常識となっています。
米国だけでなく日本でも、近年、特許ビジネスがますます「ゲーム性」「投機性」を帯びてきているように思います。しかし、これは、特許の世界が金融などと同様に大衆化されてきた結果だとも言えるでしょう。
今後、特許制度は、「企業に独占権を与えることにより新製品開発の投下資本を回収させる」という伝統目的から踏み出して、「国家(又は国際機関)が設営する、公的なアイデア公募制度」とでも言うべきものに、その性格を徐々に変質させて行くのではないかと思います。
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「俺にはお手本はいらない」(サッカーの上達法を聞かれて。中田英寿著「中田語録」文芸春秋社)
私の事務所に来られる発明者・発明家の方々を見ていますと、「独創的・突発的な発明」を生み出す人たちには、他人の言うことを鵜呑みにせず自分で考える(上司や先輩から見ると可愛いげが無い)、序列やセレモニーなど型にはまったことが嫌い、異端・少数派、などの共通の「タイプ」や「特徴」が、確かにあるように感じます。
私の仮説ですが、このような特徴は、「その人の脳細胞やエネルギーを、発明が生まれやすい方向に、活性化させ集中させる」作用を持っているのかも知れません。
どうも、私には、「革新的なアイデアや発明」を生み出せるかどうかは、単なる頭の良さや専門知識の多さよりも、その人の個人としての「価値観」や「生き方」がより本質的に関係しているように思えます。
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「新技術の創作はあくまで個人によるのであり、その個人が大企業の研究所にいるか否かは単なる偶然にしか過ぎない」(富田徹男著「知的所有権雑考」特許ニュース1994.10.21号)
これまで数百人の発明者とお会いした経験から感じることは、優れた発明やアイデアを生み出す人たちには、「基本的な問いかけ」をする人が多いということです。
私の知人(食品業界とは無縁の人)でも、「カマボコとは何か」という問いかけから、意外な発明をした人もいます。
今まで、私たち日本人の多くは、皆んなが当たり前としていることは疑うことなく受け入れるという習性を、刷り込まれてきたように思います。
しかし、これからは、「基本的な概念を問題にする姿勢」がより大切になるでしょう。
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弁理士 鯨田雅信
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